経済原理主義と合理主義に抗うロックなカメラ

数値だけで物事を見るのはよくない。

そもそも経済原理主義の社会はよくないと思う。政治家でも『まずは経済』なんてスローガンを掲げている方は信用出来ないと思っている。数値だけで物事の良し悪しを判断するのは合理主義の極みだ。そもそも合理主義というのはとても味気ないモノなのだと思う。まぁ、生きていくだけならば合理的な方が負担は少ない。アメーバみたいな単細胞生物は究極の合理主義だろう。単一の細胞で生命活動の運用を行なっている。つまり『生きる=食+排泄+生殖』なワケだからそれを単一の細胞でコンパクトに行なっているのはとても合理的な事だ。でもきっと人生、いや『アメーバ生』味気ないのだと思う。もっとも、僕はアメーバの経験はない。いや、現在は一応人間だが、人間以前に生を受けていたときの記憶は当然ない。きっとみんなないのだろう。

まぁ、つまり、合理主義を極めるというのは、アメーバのような人生を送ることに直結するのではないだろうか。錠剤のような栄養素を経口摂取、いやむしろ静脈点滴のようなもので摂取したほうがより合理的だ。歩いて買い物にいくのは非合理なので意識だけ飛ばして必要なモノを取り寄せる。つまりネット通販だな。収入を得るのも身体を動かして汗水流すのは非合理だ。カーソルだけ動かして、ネットで株式売買でもやるのがいい。子供を産むのも効率的にやったほうがいい。男性なら睾丸から直接精子を抽出して、精子バンクにでも登録する。だれか適当な女性に産んでもらうか、どこかから提供のあった卵子に受精させて人工子宮のようなもので培養する。まぁそこまで文明は進んでいないので現在は無理だが、そもそも、そこを目指す必要はないと思う。

まぁ話が飛躍しすぎたが、合理主義を突き詰めていくのは、世界をどんどん味気ないモノにしていって、人生がアメーバのような単細胞レベルに近づいて行ってしまうという事にはならないか。いまの経済原理主義、つまりは資本主義というのは、どんどんそこを目指して突き進んでいる。現金は非合理だから仮想通貨、実店舗は非合理だからネット通販。合理主義が支配する世界はどんどんアメーバの世界になっていく。

数値だけで物事を判断するということは、そういう事なのではないか。カメラもデジタルになって、数値の世界に肩までドップリ浸かった。デジタルに肩まで浸かってしまって、外に出ているのは軍艦部だけだが、ミラーレスにはペンタプリズムが必要ないから軍艦部もいらない。つまり全身デジタルの海に沈んでしまうワケだ。デジタルの海の中は、合理化の激流で渦巻いている。新しいものもすぐ合理化の激流に飲まれて、光も届かない海底に沈められてしまう。光を捉えて像を結ぶカメラにとって、光も届かない世界は存在意義すら存在しない。

わかった!デジタルこそ軍艦が付いているカメラを使わねばならない。申し訳程度につけた偽物の軍艦じゃない、きちんと機能を内蔵した本当の軍艦がついているカメラ!つまり一眼レフだよ!一眼レフでデジタルの海を切り開いていかねばならないのだ。

多分、ほっとくと一眼レフは死ぬ。Nikonの軍艦がついた奴らも、背面の液晶がパタパタ動き出した。パタパタ動く液晶はミラーレスのメリットを活かす特徴でもある。これはNikonもこれからはデジタルの海に沈む潜水艦をメインに考えている意志の現れだ。背面の液晶が動かない、一眼レフを確保するのだ。デジタルの激流に長年揉まれながらも、未だに軍艦部を水面に出し続けているカメラとは!

そう、D610だよ!

2013年の発売から、もうすぐ5年、現行モデルとしてNikonのラインナップから消えずに残っている一眼レフ。コイツをリスペクトしてやらんといけない。それにNikonに投資してやらないと、Nikonという会社自体が合理主義の激流に飲まれて沈没しかねない。

今年の冬の方針は固まった。いざ、出陣っ…。

…いやまてまて、まずは賞与の振込金額を見てからだな。