幼き日の記憶と父の思い

めいめいは5歳、はっぱは2歳。大きくなってきたもんだ。めいめいは女の子だからか、かわいい、かわいい、の一言で育てている感がある。現に心からかわいいと感じる。『目の中に入れても痛くない』とはまさに事のことなんだと思う。

はっぱは男の子だからか、なんだか自分の姿と重ね合わせてしまうことがある。まるで幼き日の自分を見ているようで面白い。そして、はっぱを見ている自分と父の姿を重ね合わせてしまってさらに面白い。幼き日の自分の記憶が、まるでついさっきの事のように思い起こされる。はっぱを見ていると、まばたきをした瞬間に父と僕の身体が入れ替わってしまったのではないかという感覚に陥る。

はっぱの失敗や要求を通そうとしている姿は、自分の姿のようにみえて複雑な思いだ。机の上のミルクをこぼす。椅子から転がり落ちてアタマをぶつける。ママが帰ってこないのに腹を立てて玄関前で泣き続ける。

はっぱの気持ちは自分の事のようにとても良くわかる。よく理解ができるが故に、はっぱの苛立ちもよくわかり、感情がリンクしているかのように自分も苛立つ。きっと、父も幼き日の僕をみて今の僕と同じ気持ちを味わっていたのだろうと突然理解する。僕の中の父がそう語りかけてきているのだろう。

きっとニンゲンって…いやニンゲンだけじゃなくて全てのイキモノは、この世に産まれて死ぬまで同じようなことを繰り返しているのだろう。そうやって、世界は成り立っているのだと思う。

子を持ち、親になるということは、とても感慨深い。