平等な階級社会

社会とは巨大な協同組合のようなものだと思う。組合の目的は神が作った自然の大地の一部に、自分たちの住みやすい環境を作り上げ、維持して行く事だ。水道の蛇口をひねれば安全な水が出てきて、ガスコンロのノブを回せば火がつき、壁のスイッチを入れれば灯りがつく。トイレに行けば排泄した物件は水に流してなかった事に出来る。腹が減れば野菜でも魚でも買ってくればいい。これ即ち協同組合である社会の恩恵。この生活を維持する事こそ、社会の主なる目的だと思う。この恩恵に預かっているのであれば、働けるくらい身体が出来上がったら、みんな社会を維持するためにその身を捧げるべきだと思う。

そもそも『はたらく』と言う言葉は、ハタがラクになると言う意味があるらしい。『側から見れば』の側(ハタ)、つまり他が楽になるために体力を使うと言う意味が込められているようだ。僕たちは本当に働いているのだろうか?

資本主義社会というのは、社会に貢献する事より個人や特定企業の利潤を追求する方に熱心になりがちだ。ホントに社会に貢献している方々にお金が回らず、私服を肥やしている連中は生活するだけでは退屈してしまって趣味に散財している。

まぁ、変えようとしてもなかなか変えられませんよね、環境なんてモノは。ある程度はなるようになるしかない。ドブ川に住んでいる魚は、その川を清流に変えることが出来るかと言うと、これはなかなか難しい。ニンゲンの世界を政治家が一生懸命変えようとしても変わらない。いや、ほとんどの政治家は今の体制を変えたくないのだろう。政党名が書かれた巨大な看板の影に隠れて、何となくモゴモゴしていれば生活が保障されるばかりか、贅沢な趣味を楽しむ余裕も付いてくる。

僕は歴史にはあまり詳しくないが、昔は士農工商という階級社会があったと聞く。現代の人間社会は表向きには平等社会を気取っているが、実際のところは格差社会、いわゆる階級社会だ。ほんの僅かなピラミッドの上の部分と、広大に広がる底辺の二極化なんじゃないか。

僕は階級社会が悪いとは思わない。多分、階級社会というのは自然な事なんじゃないかと思う。そもそも人間社会の外、自然界は階級社会だ。弱肉強食、食物連鎖のピラミットという階級がある。その階級に沿って運営されている。各階級にはきっちりと役割があって、ライオンは獲物を倒して食べる。でも全部食べないで残す。残りをハイエナとか少し小さな肉食動物が食べて、その残しをさらに小さい動物が食べ…。あちらこちらで動物は糞をしてそれを昆虫や植物が食べ、植物は育ち、草食動物がそれを食べる。草食動物は種を運び、糞をして植物を育て、たまに肉食動物に倒され、肉になる。みんな階級の役割を持って生きている。階級社会だから細かい不平等も当然ある。でも社会としてはスムーズに廻っている。神のデザインだ。

人間の社会も、表向きの平等を捨てて階級社会を盛大に掲げていいと思う。ただし、みんな平等な階級社会がいい。

例えば、年功序列なんてどうだろうか。年はみんな等しく重ねる。若者だっていずれは老人になる。資本主義を否定するような話にもなるけど、生活に必要な金銭は国から年齢に応じた額が自動的に支給される。そもそも通過なんてモノは国が発行しているモノなんだから、国民から税金なんて形で徴収するのは理不尽ではないか。お金の代わりに、国民は労働力として国に貢献する。

企業に勤めていたり、個人経営で働いているヒトは、自分がまじめに働いているタイムカード的なモノを役所に提出する。そうすると、年齢に応じた給料的な意味合いの金銭が支給されるとか。僕は社会の仕組みの分類についても詳しくはないが、多分、社会主義だとか、共産主義だとか、そんな感じだろうか。

競争力を生まないので産業や文明が発展しないという意見もあるかもしれない。でも、もう今の世の中はこれ以上発展する必要性はないのではないか。発展よりも現状を維持する事のほうが重要なのではないか。

三次元世界に存在するモノは等しく老化する。人間も例外ではない。老後に希望を持てないばかりか、不安しかない社会は勘弁してもらいたいものだ。