毎朝、通勤のために混雑した電車に乗っております。時間帯的に座れれないのは当然として、乗車時間が長いので出来るだけ車両の奥の方、座席の前の吊革につかまるようにしています。運良く前に座っている方が降りたら、ありがたく座って電車の中の時間を過ごすようにしています。まぁ毎朝の運試しのようなものですね。
今日も吊革につかまって満員に近い電車に揺られていると、僕の前で寝ていたお兄さんが降車しました。これ幸いと網棚の上に上げた荷物をおろして、残りの電車の時間を腰掛けて過ごそうとモーションを起こす…よりも早く、僕の隣に立っていた女性が、するりと半身を僕と座席の間に挟み込み、僕をキッと睨みつけて低めの声でこう言いました。『妊娠しているんで座っていいですか!』僕はその迫力に圧倒されて、『あっ、どっ、どうぞ…』と一言返えし、その語尾が消えるのが早いか同時か、さっと座席に腰掛けて寝てしまいました。僕からはマタニティマークは見えませんでした。
一日一善とはよく言ったもので。他人の役に立てた後というのは、晴れ晴れした気分になれるものなのですが、今朝のその一件はどうにもスッキリしません。良いことをして心が満たされた感じがないばかりか、なんだか心が濁ってしまいました。本当に妊婦なんだろうか?仮に僕が内視鏡手術で胃潰瘍の穴を塞いだばかりで、立っているのもやっとの体調だとしたら、その女性は快く引き下がっただろうか。答はわかりませんしそんな事を問うこともできません。
普通、というのも変な話ですが。この手のやり取りというのは、相手のハンディキャップにこちらから気がついて、『お掛けになりますか?』→『お気遣いありがとうございます』という一連の流れがあって、互いに心が満たされるというのが理想的なカタチではないかと思うのです。さり気なくまわりの誰かが気づいてあげる。これがポイントで、気がついてあげられない際に、本人からそれを積極的に訴求していくのは少し違う気がしました。ハンディキャップを水戸黄門の印籠のように掲げて、こちらの行動を強制されてしまうと、大変残念なことにむくむくと心のなかに疑念が浮かび上がってしまいます。
疑念を抱いたままその女性の座った座席の前の吊革につかまって立っているのはとても辛かったので、他に移動したかったのですが。車内は混雑しており願いは敵いませんでした。もやもやした気持ちをかかえながら、その人の姿を視線にいれないように、手に持っていた小説の活字にそって視線を走らせますが。まったく内容がアタマに入ってきません。20分くらいでしたが、とても長い時間に感じました。
その女性は、僕が降りる駅の少し2〜3駅手前で、僕に目をあわせずにそそくさと降りていきました。
東京メトロ 有楽町線、永田町の駅でした。