そもそもMacBook Airは『Air』ではない
そもそもMacBook Airは『Air』ではないのです。『Air』とはApple語で『薄い、軽い』の意ですが、薄くて軽いMacは今やMacBook 12ですよ。MacBook Airは薄さでも軽さでもMacBook 12に劣ります。ハッキリ申し上げますと、MacBook Air 11はモバイル機としてMacBook 12対してアドバンテージは何一つありません。スペックでみてみましょう。
MacBook Air 11 | MacBook 12 | |
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厚さ | 0.3〜1.7 cm | 0.35〜1.31 cm |
幅 | 30 cm | 28.05 cm |
奥行き | 19.2 cm | 19.65 cm |
重量 | 1.08 kg | 0.92 kg |
設置面積 | 576cm2 | 551.1825cm2 |
まぁつまりMacBook 12のほうがMacBook Air 11よりも小さくて軽くて薄いのですよ。MacBook 12のほうが『Air』なワケですよ。それにRetinaディスプレイを搭載していますので、表示は美しく、設定によっては1画面に表示できる情報量も多くなります。数値的にMacBook 12のほうがモバイル機として優秀なのは明白です。バッテリーもUSBで充電出来ますので、非常時に困ることも少ないとオモワレ。つまりMacBook 11の存在意義は皆無と言っても過言なく、Appleもそのような判断をしてMacBook Air 11を切り捨てたのでしょう。南無〜。
数値に現れないMacBook Air 11の魅力
すみません、最も薄いモデルではありません。すみません、最も軽いモデルではありません。すみません、生産終了になってしまいました。すみません、MacBook 12のほうが実サイズは小さいけど大きな高解像度ディスプレイを搭載しています。すみません、パワーもMacBook Proにはおよびません。すみません、SDカードスロットもありませんのでストレージを拡張することもできません。つまりスペック的には不足だらけで所有満足度を満たすような特別装備は持ち合わせていません。マイナス要因ばかりではありますが、与えられた環境を受け入れられる心の余裕と、オペレーション的な工夫があれば、大抵の作業はそつなくこなすことができます。
つまりこれは
侘び寂び 貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識
奥ゆかしく、威圧感が少ない
MacBook Air 11の液晶を開いてみると、全体的な高さが抑えられていてこじんまりとしている印象があります。そして、MacBook 12に比べてベゼルが太く、小さい液晶が数値以上に小さく見えます。液晶が小さい、もしくは小さく見えるというのは一般的にはデメリットとして見られがちですが、コンピューターが発する威圧感が少なくなります。MacBook 12に比べて、MacBook Air 11は奥ゆかしい感じが醸し出ているんですよね。数値的にはMacBook 12のほうが小さいけれども、11インチのほうが威圧感が少なく奥ゆかしい。奥ゆかしさとは『侘び寂び』とならんで日本人の美徳意識にも通ずる感覚ではないでしょうか。
『不足』という美学
コンピューターの世界は数値が重視されがちです。いや、コンピューターの世界だけではないですね。今の経済が支配する世の中ではスペックがとても重視されがちです。カタログスペックが強力である、数値が大きい、新しい。それはすなわち正義であり誉れ高きこととして認識されがちです。逆に、低スペック、古さ、などは蔑まれ、避けられがちです。しかしそこにしか存在しない魅力もあり、古来日本人はそこに美徳を感じ、与えられた環境に満足し、マイナス要因すらプラス要因に転化させていく技を磨いてきたのではないでしょうか。それらを『侘び寂びの精神』と呼び、美学を感じ、慣れ親しんできたのではないでしょうか。まさに、MacBook Air 11は日本人の美徳を体現したMacだと思います。
ってことで今回は11インチを切り口にMacBook Airの魅力に迫ってみましたが、13インチにも全く同じことがいえます。MacBook Airシリーズの魅力はスペックでは語ることができない、古来からの日本人の美徳意識にマッチしたコンピューターといえるのではないでしょうか。MacBook Air 11がディスコンになり、有機ELタッチバーが搭載された新型MacBook Proが発表になった今だからこそ、日本人としてMacBook Airを選んではいかがでしょうか。