人身事故

少し早起きして1本早い電車に乗ろうと思い。いつもより人通りの少ない駅までの道を気持ち良く歩いて来たものの…。人身事故だとかで駅前は大混雑。駅にすら入れません。

列のすぐ横には喫煙所があり、煙は吸わされるわ、列の後ろに心の不自由な方が奇声を発しているわ。

早目に起きて準備した英気を、混雑のストレスと戦うなんてクダラナイことに使うしかない憤り感はどこにぶつけたらよいものか…。携帯電話で話しながら通り過ぎるおじさんが『おもいっきりぶっ飛ばしてやろうかと思った…』なんて言葉を発していた。『思った』って事は暴力沙汰にはならなかったのだろうか。駅前の行列はどんどん伸び続ける。入場制限がかかっているみたいで、まるで駅がディズニーランドになったようだ。いつもの電車はスペースマウンテンに格上げだ。

駅に着いてから30分経ったが、まだ屋根のあるところには入れていない。いや、今の一歩で辛うじて青空が見えなくなった。天気の良い日で本当に良かった。

人身事故というのは、誰かが人間社会から逃げ出した行為の事をそう呼ぶようだ。月曜日に多いらしい。今日は木曜日、残念だが誰かはあと2日頑張れなかった。

駅に着いてから40分経った。階段が見えてきた。階段にはビッシリと人が立っている。みんなじっとしながら何かと戦っている。

黒い列はひとつの生き物のようだ。もっと大きな視点で見ると、人類全体がひとつの生き物なんだろう。僕らは細胞のひとつひとつで、分裂したり消滅したりしながら大きな生き物を形成している。

駅に着いてから52分経った。階段を5段登った。この泥試合はいつまで続くのだろうか?

僕らの身体も沢山の生き物で形成されていて、その生き物たちは、きっと駅の混雑とか、ディズニーランドとかでストレスを溜めているのだろう。人間が人身事故というビックバンを起こして、その生き物たちを解放する。

地球もストレスが溜まると人身事故をを起こしたいた思うのだろうか?太陽は上司だろうか?火星は弟だろうか?惑星も実はさらに大きな生き物をかたちどる細胞のひとつ程度のモノで、宇宙はお風呂の残り湯くらいのモノなのだろう。

70分。改札を通れた。ホームは鉄板の上のもんじゃ焼きのようだ。電車の中にはヒトが隙間なく詰まって苦悶の表情を浮かべている。まさに缶詰のようだ。僕らは誰かに指示をされるわけでもなく、さらに列を作って苦しい缶詰に詰められることを望んでいる。駅の外には、もんじゃ焼きになる事を望んだ人々が黒くて長い蛇になっている。

80分。いよいよ僕が缶詰に詰められる番だ。意外とスカスカで、缶詰には程遠い。多分これから缶詰になるのだろう。