人間レベルと通勤電車

昨日は人身事故で散々でしたが、今朝も気をとりなおして早起きした。昨日より更に早く、六時台に家を出てみる。神社の灯籠にまだ灯りがともっており、シャッターを切る余裕すらある。

電車もやはり空いているが、座れるほどではない。さらに早い電車に乗れば、確実に座れるだろう。6時42分、保谷始発 新木場行き。コレだ。コイツに乗れれば確実に座れる。問題は7時半に会社に着いてしまう事だが…。

タイムカードを切ったら多分早朝手当がついてしまう。遅刻して叱られるのは若い時に経験したが、早く会社に来て叱られるのは経験がない。叱られなかったら昇給と同じ効果があり、通勤時間が有効に使える可能性が高い。

そう言えば僕の信じるお医者さん、近藤誠先生が著書の中で早起きの話をしていた。朝は頭が冴えているのは当たり前のことで。満員電車なんかでチャージされた脳力を消費するのはもったいないと。もっともなお話しだ。恐らく、賢者は早起きなのだろう。僕が電車に乗っている今の時間も十分早いが。更なる早起きをすれば座って過ごせる快適な通勤時間が貰えるなんて、まぁ言わばわかり切っている話ではあるが。まぁしかし朝の睡眠の誘惑と言う奴はなかなか簡単に振りほどけるモノではない。若く経験の浅いうちは特にそうだ。もっとも、若くて体力的に余裕があれば、満員電車にも耐えられるのでバランスは良いのだろう。

ひょっとしたら、通勤の時間帯と言うのは、人間レベルのバロメーターなのかも知れない。僕らは電車と言う箱に詰められで等しく出荷されるが、満員電車に押しつぶされているウチは、睡眠の誘惑に打ち勝つことが出来ないヒヨッコという事なのかも知れない。もしくは満員電車に打ち勝つことが出来る頑強な若者。早朝の空いた電車で悠々座って通勤するのは、睡眠の誘惑を振りほどく術を身につけている人生の達人か。その中間の少し早目の缶詰まで行かないが、混み気味の朝の電車に乗っているのは、人生の達人を目指して頑張っている熟練者、といったところだろうか?

ただ今市ヶ谷、7時48分。吊革の輪に捕まる僕の前でイヤホンを耳に詰めて眠りこけている髪の毛が薄くなっているオジサン。年代的には、僕と同じくらいと思われる。人間レベルも僕と同じくらいとなんだろう。その隣で文庫本を読んでいるオジサンも、マスクをして眼鏡を白く曇らせているオジサンも多分同じだ。そう考えるとなんだかとても親近感が湧いてくる。

でも僕はもうひとつ上の人間レベルの電車に乗りたい。今日は金曜日なので明日は無理だ。来週から頑張ってみるとする。