コロナは救世主

コロナはただの風邪だと考えており、特別な対応は一切しないという話はしたが…。実は僕も職場ではカタチだけマスクをして、コロナ宗教の信者のフリをしている。

ここが僕の弱いところで、己の考えをいつ如何なる時も貫き通せていないというのは我ながら情けなくもある。

モノの考え方や価値観は個人によって千差万別で、人参が好きな人も苦手な人もいる。人参が食べられないからダメって訳でもなく、コロナ宗教の信仰も一向に構わないと思う。まぁ信者の方々にとっては僕はイカれた背徳者なわけなんだが、身近な信者の方々には当たり障りなく付き合っておこうと思っている。なんだか廃仏毀釈政策中の隠れキリシタンの気分だ。

閑話休題

僕はコロナウイルスは取るに足らない風邪だと考えており特別なことは一切しない。その反面でコロナさんには頑張って虚勢を張っていただき、世界中の信者の方々には大いに恐怖のダンスを踊っていただくのが好ましいと思っている。僕は力の限り手を叩いて応援するつもりだ。

経済が支配するグローバル社会と行きすぎた資本制の価値観をぶっ壊すには、コロナウイルスパンデミックは格好の種だと考える。政府も企業も利潤追求と経済的な無限成長を目指すのをやめて、これからは脱成長。社会も個人も資本性に徹底的に搾取され尽くされて、搾かすのようだ。

コロナウイルスはとは排水溝のように汚れた社会の中で苦しみもがく人類を見て心を痛めた神が、人間どもを救おうと現世に遣わした救世主なんだと思う。

この救世主の力を借りて人の世を暮らしやすい方向に変えていかねばならんのだが、現状ではそうはなっていない。ワクチンなんてモノを作った一部の製薬会社が世界から膨大な利益を搾取する為の一大プロモーション活動になってしまっている…。

何とかしたいのだが…。どうしたものか。斎藤幸平氏の『人新生の資本論』には大きな答えが書かれていると感じた。僕も小さくともいいのでなんらかの行動を起こさねばならないと考えてる。