病院は宗教

先日、鉛筆が足に刺さった話を書いたが、僕は病院に行く気はなかった。感覚的に大丈夫だと思ったし、『とりあえず病院へ』と言う考え方が嫌なのだ。病院はどうしようもなくなった時に利用するもので、さほどでもない時に『とりあえず』行くものではない。

しかし医療事務をしている家内の考えは異なるようで、病院に行くようにしつこく言われたので『付き合い』で近所の外科に行ってきた。

感想を一言で言うと、あれは宗教だと思った。社会的なインフラが整っていなかった時代は、困った事があるとお寺や神社に行って僧侶や神主さんに相談していたというが、まさに病院は現代のソレだ。
お医者さんとは医学と呼ばれる神さまの教えを勉強してきた教祖さまで、人々の悩み事の相談に応える。教祖さまの言葉は化学的根拠や数値が明記された検査結果などという『無敵の神具』で武装されており、人々は首を垂れてお布施を差し出す。
日本人は無宗教などと言われているが、医学、化学、科学などという理屈を掲げる宗教を盲信している。専門家が化学的論証に基づいて『こうだ!』と言えば無条件に受け入れる。その言葉は権利者や特定の企業に都合の良いように調整されている可能性が高くとも、コロリと飲み込んでしまう。

僕も教祖さまに祈祷をしていただき、ありがたいお言葉を賜ってきました。まず傷口にへんな悪霊が取り付いていないか、消毒液でお祓いをする。レントゲン写真を撮影して、骨に異常がないか、内部に何か残っていないかを確認。悪霊が体内に入らないようにお注射を一本。このお注射は1ヶ月後と1年後に合計3回打たねばならないとのことでしたが、僕は2回目と3回目は打たないことにしました。んで、お高い飲み薬を売ってくれるということなので、ありがたくお布施を払って受け取ってきましたとさ。そしてまた近日中に参拝に来てほしいとのことでした。

…なんだか僕は病院を否定的に書いているように見えるかもしれない。まぁ少し懐疑的な視点で見ているのも事実だが、全否定しているわけではなく。宗教も盲信するのではなく適度に利用するのは良いことだと思っている。辛いときは頼ったほうがいい。過ぎたるは及ばざるが如し。ご利用は計画的に。ってやつだ。

今回の件では、多分もう行かない。